Facebookが疲れるわけ
先日書いた記事で、人と自分を比べてしまうことでとても辛くなると述べました。
これって、なんとなく私がFacebookに疲れているのに似ています。
Facebookを始めた頃、私もささいな日常や変化を書いてあげてましたが、最近は全く記録していません。
自分のプライベートを晒すのがなんとなく気恥ずかしいというのと、PRが下手で、おもしろいことが書けないからです。
いや、別に思ったことを書けばいいのだけど、なんとなく幸せな出来事とか、充実した毎日とか、こんなこときづいちゃったよとか
人が見ておもしろいことを取り上げなければいけない脅迫感があって、躊躇するようになってしまいました。
Facebook上の友だちが、幸せな様子がうらやましくて、ときに妬ましいほど。
そして、羨んでる自分とか妬んでる自分がみじめで嫌いになりそうで、疲れてしまったのだと思います。
結婚しましたとか、子どものかわいらしさとか、おいしいものの写真、出張での出来事、旅行、マラソン…
どれもこれも楽しそうで、それに比べて私ってなんてつまらない。
そう思ってしまうわけです。
そして、イイねをしなければならないような気持ちになるし。思ってもないのにね。『イイね。』が本当に嫌味なイイねだよなーってひねくれていました。
そうね、じゃあやめたらいいんだと思います。多分後悔しないと思うし。
でもなんとなく気になって見てしまう私。ゴシップ好きなんでしょうか?取り残されたくないとか思ってるんでしょうか?いや、はたまた、このくらいのことをupしちゃうなんて、私の方がもっとすごいわよ。とか思って見下したいのでしょうか?(なんかものすごくヤな奴ですね。ブラックむぴぴぃです笑)
とにもかくにも不思議です。
でも似たような気持ちで見ている人、割といるんじゃないかと思います。
私ほどは性格悪く見ていないと思うけど笑
ただ、少し変化はあります。
ちょっと前までは『あー疲れる』って思って鬱々とした気持ちになってたかもしれないけれど、最近は『まあ、いっか。』と割り切れているような気がします。
人と比べても仕方ない。
だって、Facebookにあげていない本当に『どうでもイイ』毎日の中でキラッと輝くものをフィーチャーしてあげているわけだから。
その『キラッ』な一瞬と私のどうでもイイ日常を比べるなんて、筋違いもいいところです。
同じ土俵では戦えないということです。
Facebookを鬱々と見ていたときは、究極の他者比較をしていたと思います。
『人の幸せな出来事』vs『私のありふれたつまらない毎日』
すでに負けフラグが…笑
言葉にしてみたら、なんとも情けなく、私のもやもやって意味のないことだって思えてきます。
そして、妬んでる私も許してあげることができました。いいなーと思う気持ちは持っていていいし、それに、人から見たら私もきっといいなーって思われる部分があるんだから。
妬んでる自分が嫌だったけど、妬まないなんて無理なんだから、そんな側面を持っていてもいいことにしました。
素直に『あ、私ったら妬んでるわ』って認めてあげたら、なんだか自分がいじらしく思えてきます笑(それは言い過ぎかしら笑?ナルシストかな笑?)
でもそのおかげで、人の幸せも喜べるし、なんなら、『うらやましい!いいね!』って言えるのは、とても健康的だなと思う訳です。
鬱々して、『はーあ、いーなー、なんで私ばっか不幸なんだー。ウザいなー。コメントしたくないなー。仕方ない。イイねするか。』なんて思いながら、妬んでる自分を隠してイイねするより、よっぽどマシです。
そう思ったら、Facebookやめなくてもいいか
と思えてきました。
まぁ、これからも自分から積極的に記事を書くことはないと思うし、たまには本当にどうでもイイねって思うこともあるだろうし、リアルな日常の疲れで、またFacebook離れするかもしれないけど
他人のいいところと自分のつまらないところを比べることはもう辞める
これだけは決めたいと思います。
なんだか、ちょっと意地悪な記事になってしまいました。お気を悪くされたらごめんなさい。最後にお詫び申し上げます。お許しくださいませ。